高校の卒業式の思い出

はじめに

受傷してから数カ月がたち、同級生たちは大学入試を受け、それぞれ次の進路を決めていました。そんな中で私だけは、いまだに真っ暗な世界に取り残されたままで一人焦っていました。そうこうしているうちに季節は進み卒業の日が近付いて、私はある決断をしなければならなくなりました。

卒業するか留年するか

高校を卒業するには卒業単位を取らなければなりません。しかし、私が入院したのは10月の初めで、そこから先は授業に全く出ていない状態でした。受傷するまでは欠席なしで登校していたので、1年~3年での出席日数機を考慮して卒業は可能ということでした。3年間真面目に学校に通っていた甲斐がありました。
このまま卒業するか1年留年するか選ぶ必要がありましたが、私の中では今の同級生たちと卒業したい思いが強く卒業を選びました。結局、私の入院期間は1年半もかかり、留年を選んでも学校に登校できず卒業できなかったかもしれないので、この選択は正しかったのかなと思います。

いよいよ卒業式

私の記憶では卒業式本番までにリハーサルで一度学校に通ったように思います。ただ、当時の私の記憶ははっきりしていないので、本当に行ったのかどうかはわかりません。家族に聞いてみたら分かるとは思いますが…。
卒業式のリハーサルにいくために、病院からタクシーで高校へ向かったと記憶しています。病院の周りは散歩でも回ってはいますが、それ以外の場所へ行くのは初めてでした。ただ、当時の私はまだ「これは夢に違いない」と思っていたので、起きている出来事にとりあえず付き合っている感じでした。
いよいよ卒業式が始まりました。私は体育館の後ろでいました。当時の私はまだほとんど目が見えていなかったので常に真っ暗な世界にいましたが、体育館に入る時に見た空の色は少し灰色がかって見えました。卒業する生徒の名前が呼ばれ、私の番が来ました。自分では「はい!」と返事をしたのですが、蚊の鳴くような声しか出なかったので誰も聞こえていません。
卒業式はどんどん進み、いよいよ最後の校歌斉唱になりました。私は「もしこれが現実でも救いのないように歌おう」と思い、必死に校歌を歌いました。横にいた保健室の先生が「この子うたっている… 。ちゃんと分っているんだ」と言っていました。きちんと理解しているという事を誰かに分かってもらえたのは嬉しかったです。その後、クラスのみんなと写真を撮って私の卒業式が終わりました。

同級生たちとの別れ、そして転院

卒業式が終わり、同級生たちはそれぞれ進路に進みました。中には地方の大学へ進学して、それっきり会っていない友人もいます。そう思うとほとんど目が見えていなかったとはいえ、みんなと卒業式に参加できたのは本当に良かったです。デジカメの写真のデータは私が入院している間にパソコンのデータが吹っ飛び無くなってしまいましたが、卒業式はたまたまフィルムカメラでも撮っていてラッキーでした。
私の方にも「転院」という新しい出来事が訪れました。半年間過ごしてきた災害医療センター・日赤病院を離れ、甲南病院に転院することになりました。その後、私は県リハに転院するまでの約半年間を甲南病院で過ごすことになります。

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