甲南病院での半年間

はじめに

高校の卒業式が終わり、私は半年間入院していた災害医療センター・神戸赤十字病院から甲南病院へ転院しました。甲南病院へ行ったのは胃瘻を外すという目的がありました。この頃はまだ自分がどういう状態なのかを完全に受け入れることができていませんでしたし、みんなが卒業していったのに自分はどうなるのだろうと不安でした。ただ転院先が高校の近くの甲南病院で場所を知っていたので、「卒業はしてしまったけど、高校に近くなるから誰かと会えるだろう」と考えたりもしていました。

入院前半はまだ眼ははっきりと見えず…。

記憶が定かではないのですが、転院してから胃瘻を外すまでの間は一般病棟に入院していました。2019年現在は建て替え工事中の甲南病院ですが、私が入院していた 2005年当時は古い本館と新館、療養病棟と建物が何棟があって、傾斜地に建物があるため、棟の移動に階を上がったり下がったりしないとたどり着けない複雑な建物でした。
入院当初はまだ眼がほとんど見えていなかったので病室内はどうだったのかあまり覚えていません。まだ覚醒している時間が少なかったのかもしれません。1日中音楽かラジオを聞きながら過ごしていました。入院中看護士さんがベッドを起こす時にベッドの足もとでハンドルを回すと上半身が起き上がるのがとても不思議でした。昔は電動ベッドではなくハンドル式のベッドが主流だったと後に知ることになります。
入院中にはいろいろな検査がありました。視力検査もありましたが、眼がほとんど見えていないので「わかりません」と答えるしかありませんでした。私は眼が見えていないから「わからない」と答えたのですが、「認識ができていない」と思われたようです。そんな生活をしているうちに胃瘻を外す手術を受けることになりました。私は寝ていたので記憶はありませんが、やはりC1というのはリスクが大きいらしく呼吸がやばかったと数年後に聞かされました。

療養病棟では初めて見る世界を経験

胃瘻が外れたころから一般病棟から療養病棟に移動していました。当時の療養病棟は一番新しい建物だったので病室もきれいでベッドも電動ベッドになりました。ところが一般病棟とは違い療養病棟はお年寄りがほとんど。しかも認知症の方ばかりで予想外のことがいろいろとおきました。例えば夜寝ている時に「自分のベッドに大きな赤ん坊が寝ている。ここはわしのベッドだからどいてくれ!」と杖でベッドをガンガンたたかれたりしました。こちらも「あんたのベッドはここじゃない!」と言い返してはいましたが、残念ながら私の蚊の鳴くような声ではおじいさんに聞こえるわけもなく、誰かが来てくれるまで我慢するしかありませんでした。18歳でこのような経験をした人はあまりいないのではないでしょうか。なかなかヘビーな環境ではありましたが、患者さんの奥さんや看護士、介護士さんには可愛がってもらいました。
食事は基本的に朝と昼は食堂に移動して食べていました。胃瘻を外したので口から栄養を取らなければなりません。しばらくの間食べていなかったのでSTのリハビリで嚥下のトレーニングをしましたが、よくむせていたように記憶しています。食事も刻み食だったと思います。自分では食べることのできないので食事介助についてもらっていましたが、一人で何人もの介助をしなければならないためなのか人によっては味噌汁にご飯を混ぜて猫まんまにしたり、味噌汁をストローで飲まされたりしました。はっきりと見えていなかったためお茶だと思ってストローを吸ったら口の中にワカメが入ってきて、それ以後ちょっとしたトラウマになっています。食堂にはテレビが設置されていて、最初の頃はほとんど見えていませんでしたが、徐々に映像が見えるようになってきて、毎朝やっていた連続テレビ小説「ファイト!」を見ているうちに続きが気になるようになっていました。ただドラマの最後の方で転院してしまいましたが…。ちなみに病室では最初のころは CDを聴いていましたが、プロ野球のシーズンが始まったころから 1日中AMラジオを聴くようになりました。近鉄がなくなって楽天が新しく参入していたり、知らないうちにダイエーがソフトバンクに代わっていたりして「やはりこれは現実なんだろうな」と改めて感じていました。
リハビリはリハビリ室でPT・OT、病室でSTを受けていました。PTは起立台やストレッチ、OTはストレッチと新聞や雑誌の記事を読んで何を言っていたか答えるという事をしていました。この記憶力の訓練、はじめのうちはすぐに忘れてしまいうまく答えられませんでしたが、何度もやっているうちに徐々にできるようになってきました。自分の興味のある分野かどうかでも覚えやすさが違ってましたが…。またSTでは食事と発声の練習をしていたと思います。毎回飴やお菓子を食べながらなので今日は何が食べられるかちょっとした楽しみでもありました。

半年間過ごした甲南病院から県リハへ

そんなこんなしているうちに半年近くがたち、兵庫県立総合リハビリテーションセンター中央病院へ転院することが決まりました。最初の頃は療養病床での世界に衝撃を受けていましたが、食事もとれるようになり、眼も見えるようになってきて少しずつ自分に何が起こったのかを理解しつつありました。それでも心の中では「これが夢であったらいいのにな」と思ってはいましたが…。卒業してからもちょくちょく顔を出してくれた同級生たちにも本当に助けられたなと思います。彼らが来るのが楽しみで、この環境でも何とか過ごすことができたのだと思います。
そして9月16日、半年間過ごしてきた甲南病院を離れ、私が兵庫県立リハビリテーションセンター中央病院に転院しました。まだこのころも頸髄損傷というものがどのようなものなのか理解はできていませんでした。

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