私が受傷してからの記録です。

甲南病院での半年間
はじめに 高校の卒業式が終わり、私は半年間入院していた災害医療センター・神戸赤十字病院から甲南病院へ転院しました。甲南病院へ行ったのは胃瘻を外すという目的がありました。この頃はまだ自分がどういう状態なのかを完全に受け入れることができ...

高校の卒業式の思い出
はじめに 受傷してから数カ月がたち、同級生たちは大学入試を受け、それぞれ次の進路を決めていました。そんな中で私だけは、いまだに真っ暗な世界に取り残されたままで一人焦っていました。そうこうしているうちに季節は進み卒業の日が近付いて、私...

入院中の同級生達との思い出
はじめに 私が受傷した時期は.高校3年生にとって大学入試を目前にした一番大事な頃でした。そんな忙しい時期にもかかわらず、多くの人がわざわざ病院にまで来てくれました。このころはまだ自分の置かれた状況を理解できずにいて、周囲に当たり散ら...

意識は戻ってきたけれど…
受傷してから私の意識が戻るまでかなりの時間がかかりました。私自身は覚醒時とそうでない時の記憶がごちゃ混ぜになっているので、「いつ戻ったのか」正確には分かりません。ただ今までの現実離れしていた夢ではなくなったので「このあたりからかな?」とい...

意識がなかった時に見た夢
私が受傷してからしばらくの間は意識がなく、その間様々な夢を見ました。それらのほとんどが訳のわからないぶっ飛んだ内容のものばかりでした。そこで今回は当時見たいくつかの夢について書こうと思います。 HAT神戸沈没 三宮の図書館に勉...

受傷部位と直後の処置
今回は私の受傷部位と直後に行われた処置について書いていこうと思います。 もちろんそのころは私の意識は全く無いので、記憶は全くありません。 なので後で聞いた事だけしか書くことができません。 身元の確定まで 病院に搬送された時にまず問題にな...

私が受傷した日
私が頸髄(c1.c2)を受傷したのは2004年10月3日、日曜の夕方でした。 当時高校3年でセンター試験を3カ月後に控えていて、三宮の図書館から自転車で帰る途中でした。 財布に入っていたレシートの情報によると、帰宅途中書店で参考...

私と頸髄損傷
今回「私と頸髄損傷」というタイトルで、私が受傷してから今までの経緯について振り返る連載を初めていることにしました。 私自身受傷して人生が大きく変わり、これまでにもいろいろな出来事がありました。 当時は何が起こっているのかわけのわ...